青空の下の机

旅をして、写真を撮って、生まれた想いを小説に籠める。

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短編小説:FOG-GET MY OWN WAY

 十数年前、ほぼ訪れたことのない土地へ私は赴任した。親元からは離れ、親戚の目も届かぬような場所だ。
引っ越したばかりの当時は期待と不安の入り混じったかのような、何ともいえない心地がしたのはにわかに憶えている。
 しかし誰も知り合いのいない不安という感情は案外小さなものだ。周囲との親和と仕事に慣れさえすれば見知らぬ土地であっても、自分の居場所を形成することくらいは造作でもなかった。
 異なる気候にも馴染み、気が付けば故郷を離れたのが随分と昔の話となっていた。
 そんな長い年月の中でも、私は一度も地元へ戻らなかった。その必要性を感じられなかったからだ。
 何度も帰省する機会もあっただろう。しかし交通費の負担が大きいという経済的な困窮と、「住めば都」とでもいうような赴任先の居心地の良さに、そのような気持ちもどんどんと消え失せていく。
 次第に、時間という波が過去の記憶を侵食してその上に新たな記憶が堆積していく。そして私はあたかもここが自分の生まれ育った故郷であるかのように振舞うようになっていった。
 こうして現在の「私」という人間は造られたのである。

 或る日のことだった。霧の多い街の中でも一際霧が深い朝であった。
 私の下宿先から勤務先まで徒歩で一時間。電車で一〇分程。電車で通勤といきたいところだが日頃の運動不足が祟り、昨年の健康診断でよくない数値が見られたため最近は専ら歩いて通勤をしている。
 太陽が霧に遮られている性故に、初夏だというのに道行く人々はコートを羽織っている。あまりの濃霧に数十メートルから先の視界が遮断されているため全員が上着を着ている――とまでは霧で見辛いため断言できない――が視界に映る人は皆、重ね着をしてもなお寒そうに、身を丸めながらも前進していた。私も例外ではなく、うずくまりながらも仕事のために歩みを進めていた。
 霧は体温を一層下げさせるため、「どうせ湿って視界が悪いのならせめてサウナルームみたく蒸し暑いものが良かった」とも思った。しかし天候相手にはただどうすることもなく、仕方なしに私はコートの前を閉じては手をポケットに入れることで、なるべく肌の露出を控えることにした。
 はじめはまだ近辺の通行人の姿も確認できたが、次第に霧がどんどんと立ち込めていき、足元が見えなくなるほどの濃霧となった。ついには道も信号の光を頼りに進んでいくしか術はなくなった。
 私は度々他人とぶつかった。軽い謝罪と会釈を済ませて再び前へと進むのだが、何度も何度も繰り返していると罪悪感とともにもどかしい感情が湧き上がってくる。
「どうしてこんなにも霧が深いのだろうか。早く天候が変わってしまえば良いというのに……」
 そんな理不尽な思いもお天道様に伝わるわけがない。湿っぽい空気がますます私の体温と体力を奪ってゆく。

 そうこうしているうちにもう目的地まで半分を差し掛かろうとしていた――道が不明瞭なため確信はもてないが、もし正しい道を辿っていたとしたら時間的にそろそろ五割ほどは進んだだろう――。
 相変わらずの気候にそろそろうんざりしてきたが、唯一の救いといえばあれほど衝突していた他人とすれ違うことがなくなったことだろう。前よりも幾分と歩きやすくなり、このままいけば遅刻は免れるはずだ。
「きゃっ」
 一抹の安堵を覚えた矢先、肩に何かがぶつかった。同時に悲鳴も聞こえたためそれが少なくとも久々の人間であることはすぐに判別ついた。
「すみません……怪我はありませんか?」
 相手が怪我を負ったのかは疎か、そもそも相手の姿も輪郭しか識別が不可能だ。
「ええ、何とか……。悪いのですがお手を貸していただけませんか?」
 言われた通りに影のほうに手を差し伸べると、初めはひんやりとした感触、しかし後からほのかな人肌がやんわり伝わってきた。
 握った手は皺が目立っていた。どうやら老婆らしい。一人では起き上がることができないらしく、その人は私の手に随分体重をかけて重い腰をあげた。
 何故もっと周囲を警戒しなかったのか……。弱々しい老婆の振舞いからそういった自責の念が頭に募る。
「しかしひどい霧ですね。こうやって助けていただいた方のお顔も拝見できないなんて」
「いえ、私がぶつかった性ですので当然の事をしたまでですので」
 今回初めて会ったはずなのに。姿も身分も分からぬこの老婆からは奇妙な親近感が湧いてくる。しかしやはり相手は赤の他人。お互い身の上話は避け、天気など他愛のない会話を暫く続けた。
 一つだけ分かったこととして、この老婆の訛りは聞いていて実に心地が良い。この街では聞き慣れない異なる地方の発音。だがどこか聞き覚えのあるものであった。
 私はそのことが気がかりで、遂に老婆に訊ねてしまった。
「失礼。立ち入った話ではありますが……貴方はここら辺の出身じゃないのではありませんか?」
 何故そのようなことを聞いたのか、唐突な問いかけに困惑したのだろう。老婆は暫く沈黙した。
 だがやがて老婆は徐に口を開いた。
「ええ、確かに。でもどうして分かったのですか?」
「言葉遣いがここら辺の住民とは明らかに違っていたので。……かくいう私もここの生まれではないのですよ」
「そうなんですね。私の訛りはある地域に限られているので分かる人は少ないと思いますが……ひょっとしたら○○出身ですか?」

 それは聞き覚えのある集落の名前だった。
 そこは私の生まれ故郷だった。
 ここにいたら到底耳にすることもない目立たない村。
 そうか、私はそこで成長してきたのだ。
 その名前が引き金となり、長年消失していた古い記憶が頭の中に淡くにじみでてくる。

 川。
 山。
 夕焼。
 畦道。
 蜜柑畑。
 用水路。
 裂けた道。
 踏切と汽車。
 入り組んだ小路。
 旧友の住んでた家。
 軒下で聴いた日暮の奏。
 おばさんからもらった西瓜。
「もっと食べてね」と勧められた。
 旧友と共にした時間は、穏やかな流れ。
「また明日も一緒に遊ぼう」と約束を交わした。
 そうして明日を想像しては心を躍らせて友と惜別した。
 線路沿いの帰路は長く、地の果てまで続いているのだと感じた。

 そう、何処までも、何処までも――

 我に返ると老婆が返事のない私の無事を伺っていた。
「……ああ、すみません。つい昔のことを思い出していました。確かに私はここの生まれではありません。長年腰を据えていると、すっかりとここの慣習が身体に染みついてしまっていたようで……。もし貴方にお会いしなければ、もしかしたら後生ずっと帰郷しなかったかもしれません」
「それは大変喜ばしいことですわ。是非貴方の故里の様子を時々伺いに往ってさし上げてください。貴方の故里は貴方を待っているはずですので」
 気付けば辺りを包んでいた霧は薄くなり、ぼんやりとだが先程まで会話していた老婆の容姿を捉えることができた。
 微笑みを浮かべる老婆の顔はどこか頭の片隅にある記憶と合致するかのように感じた。

 老婆と別れてからは風が強まったこともあってか瞬く間に霧が晴れていき、難無く会社に行きつくことができた。
 先程まで抱いた郷愁の念を整理してその後暫くは自身の仕事に徹底した。
 そして今まで通り「私」を演じ続けた。

 それから一ヵ月と少しが過ぎた頃合。私の下宿先に一通の手紙が届いた。
 母の訃報だった。
 私は最低限の荷物を纏めて電車を点々と乗り継いで故郷へと戻った。
 唯一難儀であったのは実家近辺の鉄道が廃線になっていたことだ。仕方なく私は在来線の駅から代行バスに乗車した。
 小一時間ほど揺られ、実家に一番近い――とは言ってもそこから家までは歩いて四〇分はかかる――バス停に辿りついた。そこは村へと続く道の入り口で、右には廃線、左には随所に植えられた蜜柑の木が青い実をつけていた。
 久々の実家はどこか他人の家の様な気がした。葬儀に参列している時も兄弟以外に対面したことがない人物が多く肉親の葬儀だというのにまるで他所様の式に出席したかのようであった。
 ご焼香を供えようと棺の傍まで向かったとき、或る物が目に留まった。
 それは母の遺影だ。遺影は二つ置かれており一つは若かりし頃の姿。私がここで暮らしていた頃の母の面影そのものであった。
 その隣には昨今の老いた母の顔写真であった。
 似ているのだ。あの時の老婆に。
 慌てて最期まで母を看取った方に訊ねた。
「母は亡くなる前にどこか遠くへ出かけたのか?」と。
 しかし返事は否、母は齢でここ五年間は寝たきりの生活が続いており到底外へ赴くような体調ではなかったとのこと。
 ましてや私のいる元へなど行けるはずがない、と。

 葬儀、告別式が一通り終わった後も、私は数日間故郷で散歩しながら穏やかな時を過ごした。この辺りは霧もできそうもない爽やかな天候が続いていた。向こうの気候に慣れていたため寧ろ乾燥しているようにすら感じた。
 入り組んだ小路は都会慣れした私にとっては窮屈であった。随分広く感じた集落も端から端まで歩けば二〇〇メートルもない。旧友の家も閑散としていた。盆や正月でもなければ旧友も親の元に戻ってくることもないのだろう。

 親も知人もいないこの故郷に、私は再び戻る訳があるのだろうか。
 廃線の傍を歩いているときにふとそんなことが頭を過った。この村の概ねの景色は変わらないかもしれない。だが「私」はその眺めで望郷の念に駆られるのか。この先どれだけ季節を輪廻しようが私が知る故郷に出会うことはないのではないか。
 私は錆びついた鉄軌へ入り込んだ。長年列車が通った形跡もなく、雑草が至る所に蹂躙していた。何処までも続くと思っていた線路はこの場で途絶えていた。知らぬ間に帰郷する術を失っていたのだ。
 この一連の全てを私は忘れることにした。母に似た老婆も霧にまいった頭が生み出した白昼夢ということにした。ただ最後に私をここへ連れてきてくれた亡き母には感謝をしなければならない。今回の件がなければ私は本当にこの村の事を忘れ去っていたであろう。

 さて、私には大事な用がある。この土地ではなく新たに定住したあの遠い地に。早く向かわねば。
 私は荒れた鉄軌に沿いながら、在来線のある駅まで闊歩していった。
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  1. 2016/05/16(月) 15:09:12|
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矢口鳥居

Author:矢口鳥居
愉快な、
不快な、
爽快な、
痛快な、
欣快な……
そんなお話がここにあります。
多分。

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